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■ 永井隆「ロザリオの鎖」(5) ■
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たき火
町がなくなって昔の丘に帰ったら、距離は半分に縮まった。向こ
うの丘の小屋で夕の祈りを唱えるのが、じいさんの声、守ちゃんの
声と聞き分けることさえできる。それに合わせて私の小屋でも祈り
を始める。おとなりも加わった。なんだか一つの家族になったよう
だ。
夜になるとたき火があちこちに赤い。そこから話し声が高々と聞
こえてくる。さながら神話時代にいるように人なつかしい。
復員兵
向こうの丘に復員兵が現われた。大きな復員袋を背負い、よろよ
ろとやって来て、立ち止まってはあたりを見まわし、また少し行っ
てはそこらをさがす。やがて何か目じるしになる庭石でもあったの
だろう、すたすたと四、五歩行って地面をじいっと見つめていたが、
「おおう」と泣き声を出すとともに、袋を背負ったまま、へたへた
とその場に腰をついてしまった。しばらくは身動きもしない。――
それをどの小屋からものぞいて見ておりながら、誰ひとり出てゆか
ない。涙にむせて、呼ぶ声も出ないのだ。あれは山田さんだよ。南
から今帰ったんだ。家族は全滅したんだよ。死ぬ覚悟で出た人だけ
が、ああして生きて……。
戦争はするもんじゃなかばい――と、特攻帰りがつぶやいた。
花の日
「浜の町を通ったら、こんな物売りつけられたばい」
「何ね?」
「花の日の花たい。市役所の引揚者援護資金募集のさ。二円だよ。戦
災者だから買わなくてもよかろう、と言って次々三人はことわったば
ってん、四人目にはうるさくてたまらんからとうとう買ってやった」
「そう――そんなら、明日町へ出て、わたしも買おう」
「おやおや、姉さん。家建てるといって大事にためてるお金じゃない
か?」
「ええ、そうよ。だから、わたしたちみたいに、お金のほしがる人の
ことを思ってみんね」
貧しさ
「いやあ、すっかり貧しくなっちまいましてね、ははははは」
今日もまた、訪問客に向かって私はそう言った。これが、このごろ
の私の自慢になっている。――この自慢は、おれは百万長者だよ、と
言うのとまったく同じ根性なのである。ただ符号がプラスとマイナス
と違うだけのことだ。貧しさを鼻にかけるようじゃ、清貧ではなくて
濁貧である。濁貧は貧しさを盾にとって社会的責任を避けんとするも
ので、長者よりなお悪い。
目の見えない人
カヤノが、はやり目を誰からかもらってきた。おとといは目をしょ
ぼつかせてこすっていたが、今朝は目やにがたくさん出て目があかな
くなってしまった。小屋の中はうすら寒いので、日当たりのいい井戸
端へ誠一に手を引かれて行った。急に見えなくなったものだから、足
もとは至っておぼつかない。瓦やれんがにつまずかねばいいがと、こ
ちらからはらはら見ていると、わざとつまずくのかといいたくなるく
らい、いちいち引っかかって倒れそうになる。荒涼たる廃虚を小さい
兄に手を引かれてゆく姿を見ていたら、ふっと広東の盲妹を思い出し
た。
カヤノは井戸端の石に腰かけて、「これこれ杉の子起きなさい」と
声を張り上げて歌っている。つるべに向かって歌っている。目の前で
聞いているものはつるべだとは知らずに歌っている。口を大きくあけ
て歌いつづけているが、目がありやなしの細いすじになっているので
表情は動かない。冷たい石像のようだ。私はあの広東の盲妹を思う。
井戸端に腰かけていて、水汲みびとの足音が近づけば歌い始めたあの
小さな盲妹を。
住 居
住居再建は、まず防空ごう生活から始まった。一つの隣組の生き残
った者が何人か隣組の防空ごうに集まって、取りあえず死体の整理と
負傷者の手当てを行なった。降伏と同時に、はじめて大空の下へ出て
呼吸した。ごうの中はじめじめして長く生活できるところではない。
戦争がすんだので、隣組の組織もおのずから解けて、こんどは近い親
類が寄り集まって丸太とトタンの小屋を作った。私の住んでいるのは
この第二期の住居なのである。手間のそろった親類の組は、すでに第
三期の住居を建ててしまった。それは、各家庭の仮建築をそれぞれ自
分たちの手で建ててまわるのである。倒れただけで燃えなかった家を
解いて、その材料でひと間のバラックを数軒建てる。そうして各家庭
はそれに引き移り、それからこんどは第四期の本建築を計画するわけ
である。本建築は本職の大工に頼まねばならぬし、材料もずいぶんい
るから、なかなか大事業だ。しかしここはカトリック地区で、昔から
何事も相互扶助でするから、案外早く本建築の立ち並ぶ日が来るかも
しれない。バラックは、本建築の家ができ上がったら物置きになる予
定である。
しかし、その前に天主堂を建てねばならない。神のお住まいが第一
だ。一日も早く天主堂を建ててご聖体をお迎えしなければ、この村に
生命が入らない。
あいさつ
「やあ、生きていましたか!」
これは焼け跡の道で出会い頭に交わすあいさつである。生きている
人間よりも死んでいる者のほうが多いのだから、これはもっともな声
である。だが、こんなあいさつをする人はほんとうに親しかった人で
はない。ほんとうに私の生死を気づかっていた人は、こう叫んで飛び
つく。
「おお、さがしたぞ! どこにいたんだっ! バカ」
石見の国、三瓶山のふもとから妹が見舞いに来た。大きな背負い袋
を背負ったまま枕もとへ来て、私の頭の三角巾を見ると、ぼろぼろ泣
き出した。妹の主人はビルマで死んだのであった。
「まあ、その荷をおろしてから泣けよ」
と言ったら、チンカランチンと音をさせて袋をおろし、中から大きな
振り子時計を引き出した。それはふるさとの家の茶の間にかかってい
た古風な物で、私の幼い日の思い出に残っている。
「途中でチンカラン、チンカランと鳴るものだから、皆から振り向か
れたのよ、兄さん」
妹は涙もふかずに笑い出し、柱に時計を掛けた。ねじをかけると、
コッチ、コッチ、コッチと正しい周期で時を刻み始め、それといっし
ょに小屋の生きかえるのが感じられた。
「時計は家の心臓だな」
妹は腕時計を見て、針を二時五十五分に合わせた。もう五分したら
時計が鳴る。幼い日に聞きなれたあの音が……。
「カヤノ、じっとして待っておいで。あの長い針が真上に向いたら鳴
るんだよ。三つ鳴るんだよ。ね、ボン、ボン、ボン、と三つ……」
「三つ鳴ったらおやつね」
「これがカヤちゃんなの、まあ……。おかあ――いや、おばさんがお
やつに石見のネーブルをあげましょうね」
妹は涙ぐんだらしく、向こうむきになって背負い袋の中へそそくさ
と手を突っこんだ。
私とカヤノは、息をつめて針の動きを見守っている。
スイート・ホーム
「ハロー、ドクター」
屋根の上に当たって、プルダン神父の声がする。
「ホエヤー・イズ・ザ・ゲート・オブ・エア・パレース?」
貴君の宮殿のご門はいずこぞ? とは大変だ。
「ヒヤ、ヒヤ」
私はあわてて中から板戸を開けた。占領軍将校の肩から下しか見え
ない。襟《えり》章で従軍司祭と知れた。もう一人は茶色のフランシ
スコ修道服を着たプルダン神父。二人とも首を屋根の上にのせている
ようだ。
「どうかお入りください」と言ったら、二人入ると宮殿がパンクする
でしょうと断られ、私も外へ出る。将校は飛行隊付の従軍司祭で、や
はりフランシスコ会員だった。腰をかがめ、中をのぞいてみて、聖マ
リアの白い像を見ると安心したように微笑した。
私はあたりの家をひとつひとつ説明する。あれは生き残った三人の
少年が建てたのです。あれは父と娘と二人で建てたのです。あそこは
もと十一人家族でしたが……。
若い夫婦二人でさかんにトタンを打ちつけている小屋が見える。新
妻が丸太の上に足をふんばってトタンを押しつけ、それを夫が口やか
ましくなんとかかんとか指図しながら釘づけにしている。風が吹きさ
らすものだから、トタンがあおられてお嫁さんも苦心さんたんである。
あのトタンを夕方までにかむせてしまえば、今夜から住まえるだろう。
「オオ、スイート・ホーム」
そう言って、従軍司祭ははるかに祝福を送った。
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■ ノート ■
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このコーナーは、本文の中にでてくるわからない言葉や、難しい
言葉の意味を解説するコーナーです。
ときには図解もします。そのときはHP上にジャンプすれば図解説
が見られるようにします。
●カヤノ
カヤノさんは博士の長女。
●誠一
誠一さんは博士の長男。