
どれくらいそこにいたのだろう。はっきりわからない。すっかり
酔いが覚めたので、玲子は帰路についた。深い海底を進むようで、
何の音もしない。通りには車が走ってなく、森(しん)としている。
道に迷ったのかと心配になって駆けだした。すると、百メートルぐ
らい前方でチカチカ赤く光る看板があった。玲子の足は思わず速く
なった。うしろから誰かに追いかけられるような気がしていたから
だ。それでその店に飛びこんだ。
照明があかあかと灯っていた。ヨーロッパのアンティーク家具が
雑然と置かれていた。絵画や壺などがそのあいだを埋めていた。彼
女は外の方を気にしながら、しばらく店の中にいたが、だれも出て
来なかった。それで奥の方へ声をかけた。けれど、応答はなかった。
誰かに尾行されているような感じがしたままなので、ドアの方に向
いたときだった。
突然、背後から声がした。びっくりして玲子はふりかえった。
女の子だった。青いターバンを頭に巻いた女の子が目の前に立っ
ていた。ひとめで外国の少女だとわかった。目の色がエメラルドだ
ったからだ。
言葉がなかなか出てこなくて、ふたりとも見つめあうばかりだっ
た。
「こんばんは……」と最初に声をかけたのは玲子だった。
「こ・ん・ば・ん・は……」女の子も片言の日本語で答えた。しか
し、玲子の心にはそれが流暢に聞こえた。まるでテレパシーで話し
ているようだった。
女の子はびっくりするくらい綺麗だった。肌の色がこんなに美し
いなんて……。ミルク色の肌って初めて見たわ……。それに目の色
ってガラス玉みたいにきらきらしてるわ……。玲子は心の中でそう
思った。
その瞬間、いいえ、あなたもきれいよ。うらやましいくらいだわ。
玲子の耳にそういう言葉が聞こえた。
「えっ?」と、思わず彼女はからだを引いた。
ごめんなさい、驚かしちゃったみたいね……。
青いターバンの女の子の唇は動いてなかった。ただ、玲子の眸を
静かに見つめているだけだ。
どうして声に出さないで喋るの? と、心に念じてみた。すると、
女の子はとても哀しそうな顔をした。そしてその細い肩は小刻みに
ふるえた。
不意に奥から男があらわれた。黙ったまま玲子の前にくると、威
厳をこめた声で、「いらっしゃいませ」と、挨拶した。
「こんばんは……。いま、こちらの女性に、店の中を案内してもら
っていたところです」
「そうですか……」男は青いターバンの女の子を冷やかに見ると、
「ゆっくり、御覧になってください」といって、店の奥に消えた。
すると、女の子の目が濡れてきて、ごめんなさい……と、心に伝
えてきた。
玲子は奥の方に男がいないのを確認すると、商品を見るふりをし
ながら、
「どうして、泣くの?」とテレパシーで訊いた。
女の子の涙は床に落ちて、金属音を立てた。よくみると、足元に
は透明な石がころがっている。玲子はそれを拾い上げると、明かり
に翳した。
ダイヤモンドだった。
「凄い、凄いわ……」玲子は思わず声を上げそうになった。
けれど、ターバンの少女は沈んだ声で、ごめんなさいと言うばか
りだったが、ようやくその訳を話しだした。あの男に見つかったか
ら、ここからは出られなくなったの。この店には結界が張られたか
ら、もう、あなたの住んでいた世界には戻れないのよ。
ダイヤを手にした玲子はにこにこしたままで、その話を聞いてい
たが、たぶん冗談だろうと思って、店のドアから外に出ようとした。
しかし出られなかった。靄(もや)のようなもので蔽われていて、
外に出たと思った瞬間、ふたたび店の中に逆もどりするのだ。玲子
の顔がみるみる青ざめた。そしてからだがぶるぶるふるえた。
「でもね……」と、少女は玲子をいたわるように、
「ここから抜け出せる方法がなくはないの。とっても危険だけどね
……」
「ほんとう?」
青いターバンの少女は軽く頷いた。そして微笑したまま、玲子を
ある絵の前に連れていった。それはこの少女を描いたものだった。
ラピスラズリ色のターバンを頭に巻き、黄色い服を着た真珠の耳飾
りをつけた少女の絵だった。どこかで見た記憶があった。たしか、
フェルメールという画家の作品だった。目の前にいる少女がそっく
りなので、あらためてびっくりした。