テキストファイル化騎士団

美と健康 豊かな感性と暮らしをもとめて

動く海底(宮原 晃一郎)(01) 

動く海底(宮原 晃一郎)(01)

    一

 オーストラリヤの大陸近くに、木曜島《もくえうとう》といふ真珠貝の沢山取れる有名な島があります。そこには何百人といふ日本人の潜水夫が貝をとつてゐます。
 今は昔、そこにゐる潜水夫のうちで、太海《ふとみ》今太郎《いまたらう》といふ少年潜水夫がゐました。この人は貝をとる潜水夫のうちでも、名人とよばれた太海三之助《さんのすけ》の一人息子でありましたが、海亀《うみがめ》を助けてやつて、海亀に助けられたところから浦島《うらしま》といふあだ名がついて、後には浦島今太郎といふ通名《とほりな》になつて、誰《だれ》も本姓太海を呼ばなくなりました。
 これから、その冒険談を聞くことにしませう。

 今太郎君が十五のときでした。
 ある日、お父さんの採貝艇《さいばいてい》(潜水夫をのせて真珠貝をとりにゆく船)に乗り、沖へ出て、空気を潜水夫へ送るポンプをせつせと動かしてゐると、すぐ船のそばへ、チヤブ台ほどの大きさの海亀が一匹浮き上りました。船の者共は面白半分鉤《かぎ》をかけて、引上げてしまひました。
「こいつの肉はうまいから、今夜一ぱい飲めるぞ」と、水夫の一人がにこにこして言ひました。
「今太郎さん」と、も一人の水夫はポンプを動かしながら言ひました。「すばらしく、おいしいスープを拵《こしら》へて、君にも、うんと喰《た》べさしてあげるよ」
 今太郎君は船板の上に、仰向《あふむ》けにひつくりかへつてゐる亀を、珍しさうに見てゐましたが、これが今夜喰べられてしまふのかと思ふと、何だかかはいさうなやうな気がしました。そして浦島太郎の昔話を思出しました。
 そのうち、水底にもぐつてゐたお父さんが真珠貝をとつて、上《あが》つて来ました。潜水兜《かぶと》をまづぬぐと、すぐ大きな亀に目をつけました。
「フン、えらいものを捕つたね。どうするんだい」と、お父さんがきゝました。
「どうするつて」と、さきの水夫が言ひました。「そりや親方勿論《もちろん》、喰べるにきまつてゐるぢやありませんか」
 すると、今太郎君が横合から言ひました。
「ねえ、お父さん、かはいさうですよ。放しておやんなさいよ。だつて、日本ぢや、漁師たちは、亀がとれるのは、大漁のしらせだといつて、お酒を飲まして、放してやるつていふぢやありませんか」
「いや、それはいけない」と、別の水夫が言ひました。「日本の漁師なんて迷信が深いから、そんな馬鹿げたことをいふのだ。亀なんて、こちとら真珠とりにや、邪魔にこそなれ、ちつとも益にやならない。それよりもスープにしたり、テキにしたりして、喰《く》つた方がいゝ」
 お父さんはにこ/\笑つて、双方の言分を聞いてゐましたが、やがて、
「ぢや、かうしよう、お前たちには、わしから一人に一両づゝやるから、亀は今太郎の言ふやうに、放してやつてくれ」と、言ひました。
「ハハハ、これや、とんだ浦島太郎――ぢやない、浦島今太郎だね」と、水夫は笑ひながら、仰向けになつて、手足をもがもが[#「もがもが」に傍点]さしてゐる亀を、そのまま、ずる/\とひきずつて、海の中へ、ぼちやん[#「ぼちやん」に傍点]と投込みました。亀は水に入ると、すぐ自由を取もどして、上手に起直り、三度ほど波の上に頭を出して、こちらを見い/\、どことも知れず姿を隠してしまひました。


    二

 程経て、ある日、大きな亀《かめ》が来て、もし/\今太郎《いまたらう》さん、竜宮へ御案内と言つたなら、浦島《うらしま》そのまゝですが、実際の話は、今太郎君が放してやつた海亀はその後、さつぱり行方が知れなかつたのです。又今太郎君の方でも、半分はそのことを忘れて、月日を送るうち、その年も過ぎて、十六になつたので、お父さん同様、海の底へもぐつて、真珠貝をとる稽古《けいこ》を始めました。
 今太郎君は厚い丈夫な潜水服を着て、まん丸い、ボール[#「ボール」は底本では「ポール」]のやうな潜水兜《かぶと》をかぶり、足には何キログラムといふ重い鉛の底のついた靴《くつ》をはき、お父さんと一緒に、舷《ふなべり》の梯子《はしご》を下りて、海へ潜りました。海の底は薄暗くて、ちやうど、陸で木や草が茂つてゐるやうに、海藻《かいさう》が一ぱいに生えてゐるところもあれば、又砂原のやうなところもあり、山の崖《がけ》みたやうなところもありました。そして時々魚が、まるで鳥のやうに、身のまはりや、頭の上を泳いで通りました。
 今太郎君はお父さんにならつて、持つて来た袋に、真珠貝を拾つては入れました。けれども海の中では、人がとつて来たのを、舟の上や陸で見るやうに、さう、ざうさなくとることは出来ません。なか/\見つけるのが難しくて熟練がいるのでした。
 かうして、毎日のやうに、潜水して貝とりの稽古をしてゐるうち、ある日今太郎君が貝をさがし/\行くうち、ふと、自分から余り遠くないところに大きな岩が丘のやうにつゞいてゐるのを見つけました。
「おや、きれいだ!」
 今太郎君は心のうちで叫びました。岩は下の方が赤紫で、上の方へ行くにつれて乳色をしてゐます。そして赤紫の根本には、大小幾つもの穴が黒々とあいてゐるので、ちよつとお城のやうにも見えました。
「はゝア、これだな潜水夫たちが、竜宮城つていふやつは……」
 今太郎君は珍しいものですから、うか/\その方へ近づいて行きました。傍《そば》へ寄つてみると、その美しいこと。乳色の八つ手の葉をひろげたやうな珊瑚虫《さんごちう》が、べた一面にひろがつて、花の畑を見るやうでした。私共《わたしども》が珊瑚といつて珍重するのはこの動物の骨なのです。
 今太郎君は真珠貝をさがすことも、お父さんとはかなり遠く離れてしまつたことも忘れて、そこに立つてゐるうち、とある大きな岩穴の前に、沢山の蟹《かに》の殻が落ちてゐるのを見つけました。
「おや/\どうしたんだらう。蟹が戦争でもしたのか、こんなに沢山死んでゐる」
 今太郎君が不審をいだいて、その方へもつと近づいて行きかけたとき、忽《たちま》ち大きな穴の中から、真つ黒な雲がもく/\と湧出して、あたりは夜のやうに暗くなりました。


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[ 2006/05/12 17:12 ] [文芸]児童文学コレクション | トラックバック(-) | コメント(-)

動く海底(宮原 晃一郎)(02) 

動く海底(宮原 晃一郎)(02)

    三

「あツ、しまつた!」
 今太郎《いまたらう》君は我知らず、かう叫びました。それは、かね/″\潜水夫たちに聞いてゐた、海の底に住むいろ/\の怪物のうちで、一番恐《こわ》がられてゐる大蛸《おほだこ》の仕業と分つたからです。沢山の蟹《かに》の殻は、そ奴《やつ》が今まで餌食《ゑじき》にしてゐたものだつたのです。
 蛸は敵にあつてにげるときや、大きな獲物を襲ふときには、口から墨汁《すみ》をふいて、あたりを真つ暗にする習慣をもつてゐます。つまり、我々が戦争をするとき、煙幕を張ると同じわけです。ですから、今太郎君はきつと自分が襲はれるものと思つて、早く逃げようとしましたが、真つ暗なので、どつちへ行つていゝか分りません。その上に、重い潜水服を着てゐるのですから、自由もきゝません。仕方がないから、貝入袋《かひいれぶくろ》の中から、護身用の大ナイフを手早く取出して、蛸が手をかけたら、ぶつぶつ切つてしまはうと待つてゐました。
 ところが何事もありません。はて不思議と怪しんでゐるうち、墨汁《すみ》で濁つた水もやう/\澄んで、あたりが見えるやうになると、二度びつくりしました。
 六メートルばかり前の岩穴の前に、雨傘《あまがさ》ほども頭があるすばらしい大きな蛸が、錨《いかり》の鎖にも似た、疣《いぼ》だらけの手を四本岩にかけて、残りの四本で何やら妙な大きな魚のやうなものを押へてゐます。しかし、押へてゐるだけで、すぐ喰《く》はうとはしません。
 今太郎君は蛸が自分にかゝつて来たのでない事を知ると、やつと安心して先程恐かつたことも忘れ、面白さうに、その場の成行をじつと見てゐました。
 蛸がすぐに喰《くひ》つかないのも道理で、その捕へてゐるのは、蛸にとつては恐しい大敵の海豚《いるか》だつたのです。だから大蛸は海豚が案外やす/\と押へられはしたものの、うかつにそばへは寄りつけないから、その大きな目をむいてじつと隙《すき》を狙《ねら》つてゐる、すると又、海豚の方では、不意を打たれて、幾分か自由を失つてはゐるものゝ、それぐらゐで閉口するやうな弱虫でないから、おとなしいやうなふりをして、実はじつと、蛸の様子をうかゞつてゐるのでした。
 と、たちまち、どんな隙を見つけ出したか、大蛸はその尖《とが》つた口を、まるで電光のやうな速さで、海豚の胸の真つ只中《ただなか》に、ぐさりと一突き!
「あツやられた!」
 今太郎君は自分がやられたものゝやうに、思はず大きな声を出しました。
 しかし、海豚はそれを待つてゐたのです。とつさに身をかはしたが早いかあべこべに敵の頭の下を狙つて、ぱくりと、喰《く》ひつきました。
 蛸やいか[#「いか」に傍点]は、手なんか二本や三本切つたところでびくともしませんが、その目のあるところは、人間で言へば首に当る大事な箇所ですから、こゝをやられたら、どんな奴《やつ》でもかなひません。海豚は自然に、それを知つてゐるのです。
 急所をやられて、さすがの怪物の大蛸も、とう/\参つてしまひ、吸付いてゐた疣だらけの手は、ぐつたりと力なく海の底に落ちて、大きな胴体はまるで開いた落下傘《らくかさん》みたやうに、ふわりふわりと浮びました。
 勝つた海豚は、まるで何事も起らなかつたものゝやうに、どこかへ悠々《いういう》と泳いで去りました。
 今太郎君は初めて、海の底の物凄《ものすご》い戦ひを見せられたのでした。しかし、こんなものはお茶の子です。海の底にはもつともつと恐しい危険が隠れてゐます。


    四

 さて、かうして潜水を稽古《けいこ》してゐるうち、さすがに名人太海《ふとみ》三之助《のすけ》の子だけに、忽《たちま》ちのうちに、今太郎《いまたらう》君は一人前の――いや、子供でありながら、大人にまさるほどの立派な潜水夫になりました。そこで、もうお父さんの附添《つきそ》ひもなく、ひとりで海の底へもぐつて、どし/\真珠貝をとつてゐました。すると、ある日のこと、せつせと仕事をしてゐると、頭の上が俄《にはか》に暗くなつたので、びつくりして顔をあげると、沢山の小魚が、まるで黒い雲のやうにみつしりと群をなして、大急ぎで頭の上を通過し、珊瑚礁《さんごせう》や、海藻《かいさう》の藪《やぶ》にあわてゝ隠れました。
「おやツ! 変だぞ!」
 今太郎君はすぐさう感じました。それは大きな魚、たとへば、恐しい鱶《ふか》などがあらはれたときには、こんな沢山の魚が騒いで、逃げ隠れするものだといつもお父さんや年取つた潜水夫などに聞いてゐたからです。
「やあ大変だ!」
 今太郎君の考は当りました。
 自分の前方五、六メートルばかりの処に、頭の丸く突出て、胸の辺に口のついてゐる恐しく大きな鱶が、その小さな凄《すご》い目で今太郎君の方をじつと睨《にら》めてゐました。
「あツ鱶だ、鱶だ!」と、思はず大声をあげました、しかし、海の底にひとりゐて、潜水兜《かぶと》をかぶつてゐるのですから、誰《だれ》に聞える筈《はず》もなく、只《ただ》自分の耳ががん/\鳴つただけです。
 今太郎君は、我知らず、走つて逃げようとしました。けれども、それは無益だといふことをすぐ感づきました。といふのは、こちらは厚い潜水服を着、重い鉛底の靴をはいた上に、長い通気管と、生命《いのち》綱を曳《ひ》いてゐて、大へん自由が妨げられてゐますから、下手に走つたりなぞすると、管が切れたり、綱が何かにからみついたりして、却《かへ》つて生命が危ないのです。それに鱶の泳ぐのはとても速いのですから、すぐ追つかれてしまひます。
 それでは上の船へ合図をして、引上げて貰《もら》はうとすれば鱶は、待つてゐましたとばかり、くるりと仰向《あふむ》けに引つくり返り、下の方から足をがつぷりと喰《く》ひ切つてしまふかも知れません。もう絶体絶命です。仕方なしに、かなはないまでもと、今太郎君は又もや護身用の大ナイフを握りしめて、そこにじつと立つてゐました。
 でも、鱶の方でも、妙な、丸つこい、てか/\光る禿頭《はげあたま》に、大きな三つ目をもつた怪物が立つてゐるものですから、さう、たやすくは飛ついて来ません。相変らず、小さな凄い目で、こちらを睨んでゐるつきりです。けれども、よく/\見てゐると、その大きな鰭《ひれ》がほんの僅《わづ》かづつ動いて、猛悪な魚の形はだん/\明瞭になつて来ます。確《たしか》にじり/\近寄つて来るのです。
 そのうち今太郎君は、むき出しになつてゐる両方の手が、鱶の食慾《しよくよく》をそゝり立てはしまいかと気遣つたので、そつと後《うしろ》の方へ廻《まは》しました。
 鱶はいよ/\近寄つて来ました。余り恐しいので、今太郎君は目をつぶらうとしましたが、どうしてもつぶれません。鱶との距離、あと三メートル、あと、二メートル、あと一メートル! 今太郎君の生命《いのち》は風前の燈火《ともしび》です!
 と、その頭の中に、海底で鱶に襲はれたときには、すばやく仰向けに泥《どろ》の中に仆《たふ》れ、手足をばた/\させて、そこらを濁してしまへば遁《のが》れることが出来るといふ話を思ひ出しました。
「さうだ。さうしよう!」
 が、ちと遅かつた。今まで、ほんのそろ/\近寄つて来た鱶はこの時、急に勢ひづいて、突進して来ました。そしてその恐しい鼻尖《はなさき》を、ごつん[#「ごつん」に傍点]と潜水兜前面の硝子《がらす》にぶつつけましたから、今太郎君はわツ[#「わツ」に傍点]と叫んで、どつかり尻餅《しりもち》をつき、めくら滅法に大ナイフを振廻しました。
 もツくり! もツくり!
 俄に泥の雲があたりを立てこめて、何もかも見えなくなりました。ちやうど今太郎君がしようとしたことを、鱶が手伝つたやうなものでした。何が幸になるか分りません。
 恐しさに胆《きも》をうばはれた今太郎君は、無我夢中でじたばたするうち、ふと何やら固いものに手がさはりました。すると不思議です。海の底が、ゆらゆらと地震のやうに揺出《ゆれだ》したので、ます/\驚いて、急いでその固いものを一方の手でつかみ、もう一方の手で、烈《はげ》しく生命綱を引きましたから、船の方では、ぐん/\引上げにかゝりました。
 ところが又、更に不思議なことには、海の底がつかんでゐる岩ぐるみ、今太郎君を載せるやうにしてずん/\上がつて行くのでした。だから今太郎君はいよ/\胆をつぶして、思はず、
「助けてくれ! 助けてくれ!」
と、叫びますと、耳ががん/\鳴つて、目がくら/\して、気が遠くなつてしまひました。


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[ 2006/05/12 17:11 ] [文芸]児童文学コレクション | トラックバック(-) | コメント(-)

動く海底(宮原 晃一郎)(03) 

動く海底(宮原 晃一郎)(03)

    五

「今太郎《いまたらう》、おい今太郎、しつかりしなさい。お父さんだよ、分るか」
 やがて、こんな声が聞えました。今太郎君ははツと気がついてみると、いつか知ら、自分はもう海の中にはゐないで、病院の寝台の上にねてゐました。
 今太郎君はそれから鱶《ふか》に出あつた話をくはしく物語りました。
「ほゝう、それで分つた。おまへが引上げられた時、すばらしい大海亀をつかんで浮いて来たんだよ。みんな大騒ぎをして捕へようとしたが、水面まで来た時おまへの手が離れたので、そのまゝ沈んでしまつた。考へてみると、あの海亀のおかげで、おまへは鱶の顎《あご》をのがれることが出来たのだ」
と、お父さんがいひました。
 今太郎君が鱶に突かれて尻餅《しりもち》をついたのは、ちやうどそこにゐた海亀の背の上だつたのです。だから、海の底が動くと思つたわけです。そして、今太郎君は気絶した後も、亀の甲羅《かうら》をしつかりつかんで放さなかつたので、とうとう水面まで一緒に浮上つて来たのでした。
 これだけの話をお父さんに聞かされたとき、今太郎君は不思議さうにきゝました。
「ぢや、去年僕《ぼく》が助けてやつた亀が、今度は僕を助けてくれたんでせうか」
「さアどうだらうかね」と、お父さんは笑つて言ひました。「去年の亀はチヤブ台ほどの大きさで、今年のは貨物自動車ほどもあつたからね」
「去年のが、そんなに大きくなつたのではないでせうか」
「いや、海亀は僅《わづ》か一年ばかりのうちにそんなに大きくなるものぢやないよ」
「それぢや、きつと去年の亀の親でせう」
「ハハハ、成程、子が受けた恩を、親がかはつて返したつてわけか。或《あるひ》はさうかも知れないね。実際、あの亀がお前を背に乗せて、水面まで上がつたからこそ、下から鱶に襲はれないですんだのだ。いつてみりやあの亀は身を以《もつ》て、鱶からお前を護《まも》つてくれたんだ。お前の生命《いのち》を救つてくれたのさね。去年の亀の親かも知れない。或は親の又親ぐらゐかも知れんよ。何しろ大きな亀だつたからね。百年以上の歳《とし》をとつてゐたらう。親にしろ親の親にしろ、お前が善いことをした酬《むく》ひは、ひとりでに来たわけだ。亀も始終海の底を歩いてゐるから、いつてみりや、あれも一種の潜水夫で、我々のお仲間さ。別に害をしないものだから、こつちからもひどいことをしないがいゝ。そしたら先方でも、今度のやうな善い事をしてもくれようからな」
     ×          ×
 今太郎君はその後お父さん以上の名潜水夫となつて、南洋の海底に活躍してゐます。


******


●動く海底(宮原 晃一郎)
底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「新しい童話 五年生」金の星社
   1935(昭和10)年8月
初出:「少年倶楽部」講談社
   1932(昭和7)年7月
青空文庫
[ 2006/05/12 17:09 ] [文芸]児童文学コレクション | トラックバック(-) | コメント(-)

悪魔の尾(宮原 晃一郎) 

悪魔の尾(宮原 晃一郎)(01)

 それはずつと大昔のことでした。その頃《ころ》は地球が出来てからまだ新しいので、人間はもちろんのこと、鳥や獣すら住まつてゐませんでした。住まつてゐるものはたゞ悪魔ばかりであつたのです。
 悪魔たちはみんな恐ろしく長い尾をもつてをりましたので、それを人間で言へば槍《やり》や刀の代りに使つて、のべつ幕なしに喧嘩《けんくわ》をしたり、戦争をしたり、始末におへないので、世界中は治まりがつきませんでした。
 こんな悪い悪魔たちでも、やはり仲間とは一緒に住みたいと見えて、とある山の中ほどに大きな湖水のある、見晴らしのよい場所を見付けて、市街をつくつてゐました。
 けれどもこの湖からは、一筋の大きな河が流れて丁度《ちやうど》悪魔の市《まち》の真ん中をとほるものですから、いつかしら悪魔たちは右の岸、左の岸と二派に分れましたので、とう/\喧嘩を始めました。すると両方へどこからともなく他の悪魔が来て、加勢するものですから、その喧嘩が愈々《いよいよ》大きくなり、遂《つひ》に戦争になつてしまひました。
 それからといふものは、夜昼の区別なく、春夏秋冬、年がら年中、のべつ幕なしの大戦争で、お互に敵に打勝つ手段を考へては、その魔法をつかつて戦ひました。
 腹の黒い悪魔の吐く息は、雲か霞《かすみ》のやうに空を立《たて》こめて、まだ生れてから若い、お天道様の美しい光りも覆ひ隠し、地上はまだ世界がひらけない前のやうに真暗《まつくら》になりました。おまけに唸《うな》り合ひ、啀《いが》み合ふ声は、山々谷々をゆり動かし、足踏み鳴らすその響は地震と雷とを一緒くたにしたやうで、その恐ろしさといつたらありません。
 右の岸の悪魔が大きな岩を雨か霰《あられ》のやうに投げつければ、左の岸の悪魔は、まるで火山のやうに口から火焔《くわえん》を噴き出すといふ具合で、互に魔法のありつたけを尽して戦争しましたが、いたづらに双方が怪我《けが》をしたり、死んだりするばかりで、一向勝負はつきません。
 ところで丁度その時分、神様は余り世界が悪魔ばかりでは、殺風景だからと言つて、鳥や獣や、それから人間もこしらへて、住まはせようと、まづ、草や木の種子《たね》をお播《ま》きになつたのが、ほんの少しばかり芽を出しかけてをりました。それだのに悪魔どもがこの大戦争を始めましたおかげで、せつかくの神様の思召《おぼしめし》も無駄《むだ》になつて、そんなものは皆踏みにじられ焼き枯らされてしまひました。
 けれどもこの悪魔のうちに、一疋《ぴき》の大きな悪魔がゐました。この悪魔は体が大きいばかりでなく、魔術を一番沢山知つてゐて、元は神様の御使ひの一等よい一人でありましたから、よく神様の御心《みこころ》を察することが出来ました。ですから、自分では余り戦争なんて下らないことはしないで、他の悪魔が一生懸命に生命《いのち》の取遣《とりや》りをしてゐるのに、お尻《しり》をそこにドツカと据《す》ゑ込み、煙草なんか吹かして、たゞ見てゐるだけでした。
 ところが、こんなに戦争がひどくなると、大悪魔はお日様が曇るやうな大きな眉《まゆ》のよせ方をして、独り言を申しました。
「これはどうも賢いことでない。こんなに大きな戦争を永く続けては、しまひには我々悪魔の種族は皆殺されて、根絶やしになつてしまふ。ひよつとしたら、神様もそのつもりで、黙つて、内輪喧嘩をおゆるしになつてゐるのかも知れない。せつかく神様がお播きになつた木や草の種子までも、悪魔が踏み荒しても黙つておいでなさるところを見ると、これからおつくりになる人間にこの世界を渡してしまふため、先づ悪魔同志喧嘩をさして、悪魔が自分から滅びるやうにお仕掛なすつたかも知れない。これは早く戦争をやめさしたがいゝぞ。」
 で、大悪魔は大きな声で叫びました。まつたく大きな声――まるでお寺の鐘を千も一時に搗《つ》き鳴らしたやうな大きな声で、ゴーンと山から山へ、谷から谷へ響き渡るほどの声で叫びました。
「皆しづまれツ! 戦争止《や》めツ!」
 とにかく、大悪魔の声に、戦争は一時中止されました。けれども平和会議を開いて、今後は悪魔の仲間では、戦争をしないことにきめなければなりません。
 さて当日の会議には例の大悪魔が大演説をやりました。
「諸君、私《わたし》は神様が人間といふものをこの世界におつくりになつて、それに世界ぢうのものを皆与へ、世界の主とする御決心をなさつたことを勘付きました。諸君の足の下に踏みにじつた草や木の芽生えはその人間にお与へになるつもりで、おつくりなされたものです。神様は私共悪魔がこの世界にゐることをお好みなさらんので、どこか遠い/\ところへ追ひやつておしまひなさるつもりです。なぜかといへば悪魔がゐては人間の邪魔になるからです。神様は深く人間をお愛しになつて、その心に十分の九まで自分の魂をお吹込みなさるつもりです。ですから殆《ほと》んど神様と同じになるわけです。たゞあと一分だけをお残しになつて、神様との区別となさるのであります。しかし人間が本当に神様の思召《おぼしめし》どほりの行ひをするなら、その残りの一分も神様の御心を頂戴《ちやうだい》出来て神様と同じになれるのです。さうなつたら大変です。我々悪魔はもうこの世にはをられません。たゞ幸なことには、人の魂のその残りの一分には我々悪魔も又指をいれることが出来ます。ですから我々はそこにつけこんで、そこから人間の魂を全部腐らしてしまへばよいわけです。しかし今のやうに我々悪魔の仲間が戦争ばかりしてゐては、皆自滅してしまふばかりですから、これからは仲よくして、力を合せて人間を堕落させることに致しませう。」
 ところが他の悪魔たちは、この大悪魔ほど悧巧《りかう》でなかつたものですから、その言葉を聞きいれません。
「あいつ。いゝ加減なこと言つてゐやがる。」
「さうとも、あんなずるい奴《やつ》だから、何をたくらんでゐるか知れやしない。」
「えらさうなことを言つて、自分がこの悪魔の国の王様になるつもりだらう。」
「さうにちがひない。」
「やつゝけろ。」
「殺してしまへ。」
 一人が言へば二人、三人と、しまひには、ありつたけの悪魔がよつてたかつて、この大悪魔ひとりをめがけて、打つて、かゝりました。
 大悪魔はたゞ一人ではかなひませんから、放々のていで逃げ出しました。すると悪魔は皆ドン/\後を追ひかけて来ます。丁度《ちやうど》大悪魔が山の湖の岸まで逃げて来たとき、追ひつかれさうで、大分危くなりました。でどうしようかと困つてゐるとき、ふと思ひ付いたのは例の力強い尾です。大悪魔はこれはよいことがあると、その尾を振つて地面を一打ち打ちました。すると、地面が大きく裂けて、その割れ目へ湖の水がどし/\流れ込み、大きな河になりました。ですから追つて来た悪魔のうち、足の早い者だけがこの割れ目を跳び越してゐましたけれど、後《おく》れたものはその中に落ちて、アブ/\/\しながら、溺《おぼ》れるやら、流されるやら大騒ぎでした。
 けれども割れ目をとんだ悪魔も沢山ゐましたから、そんな奴がやはり追つかけて来ます。
 また/\近く追ひつかれさうになりましたから、二度大悪魔は例の尾で力一ぱいに地面を打ちますと地面は割れて、湖の水が流れ込みました。今度の割れ目は前のよりも大きかつたので、また沢山の悪魔が落込みました。
 けれども悪魔の方はあとからつゞいてくる者が多いので、やはりドン/\と追ひかけて、また/\追ひつかれさうになります。大悪魔は苦しくて/\たまらないものですから、三度目には力一ぱい、無茶苦茶に尾で地面をたゝきつけましたので、いくつもいくつも大きな河が出来て、湖から水が矢を射るやうにゴウ/\音を立てゝ流れました。追ひかけて来た悪魔どもは大抵その中に落ちて、海へ押し流されてしまひました。
 大悪魔は、だいぶ働いたので、すつかり疲れ、ぐつたりとして道端に臥《ね》てゐましたが、ふと気がついて驚いたのは、自分の強い尾がなくなつてゐることでした。
「あんまり強く地面をたゝいたので、切れてしまつたものと見える。」と大悪魔はそこをさがしてみましたが、きつと河の中に落ちて、水に流されたのでせう。影も形も見えませんでした。
「驚いた/\、尾がなくなつたら、どうして他の悪魔を防げるだらうか。」
 大悪魔は心配しながら、自分が拵《こしら》へた、大きな川を幾つも/\跳び越えて、自分の家に帰りました。
 けれども他の悪魔から攻撃を受ける心配はなくなつてゐました。といふのは大悪魔の敵はみな大抵川に溺れて死んでしまつたからでした。で後に残つた僅《わづ》かの悪魔に、仲間同志の喧嘩は決してするものでない。それよりも人間がいまに出来たら、その魂をくさらすことに力をいれるがよいと教へました。他の悪魔どもゝ今度はよく分りましたから、もう手向ひせず、大悪魔の家来になりましたので、大悪魔の子孫はだん/\数がふへて、地上に栄えました。けれどもそれからは皆尾がなくなりましたので、悪魔の姿は大変人間にまぎらはしくなり、その為《た》め愚な人間は悪魔と友達になつて堕落しました。たゞ賢い人の眼《め》にだけは、その無い尾がちやんと見えるので、どんなにうまく化けても悪魔の正体はすぐ分るのです。


*******

●悪魔の尾(宮原 晃一郎)
底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「悪魔の尾」講談社
   1927(昭和2)年2月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1924(大正13)年8月
青空文庫

[ 2006/05/12 16:19 ] [文芸]児童文学コレクション | トラックバック(-) | コメント(-)
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